陳舜臣アジア文藝館 NEWS  


偶然に見つけた写真
7年ほど前「風見鶏謎解きの旅」という本が神戸新聞総合出版センターから出版された。

出版社から送られてきた本を手にとって、母があれ?と1枚の写真に釘付けになった。
三本松の急な坂を登ってアパートに向かうひと組のアベックの写真だった。
「これ、私たちだわ」と言った。そして父にも見せたら「これ、俺らや」と笑いながら言った。

結婚して間もない頃に住んでいたアパートに帰るところをカメラマンに偶然に撮られたようです。
1951年の神戸北野町の風景です。





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順風について
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自筆原稿


ダンボール箱に無造作に保管されている生原稿を
出来るだけ時代順に整理している。
時間がかかりそうだ。

こういう整理をするのが好きな方は応援に来てほしい。
 
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文藝館の入り口


メリケン波止場の手前にある黒いビル。
以前は神戸税関メリケン波止場庁舎でした。

南側にまわると真っ赤なドアがあります。
神戸港からの「海の氣」が多く流れてきます。
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父と司馬遼太郎さんと神戸の怪しい夜
小学生のころ北野町の家に司馬さんがよく遊びにきていた。
僕はまだ小学生で、この白髪のおじさんは父の飲み友だちとしか認識していなかった。
言葉が悪いのですが「白髪(しらが)のおっちゃん」と、僕と妹は呼んでいました。

いつも父の書斎でボソボソと怪しい話しをしていたことを憶えてます。

いまも憶えていることがあって
僕がパパたちにイチゴを持って行くのですが、ドアの前でぜんぶこぼしてしまったのです。
緊張しすぎてこけたのだと思います。

奥から母が飛んできて、僕を叱咤します。
すると、白髪のおじさんが母を制して「だいじょうぶ、イチゴは洗うとたべれるから怒らないで」と母に言った。
僕はその場で、このおっちゃんは僕の味方だと思ったのです。
父の顔をみると、酒を飲みながら他人事のように笑っているだけであった。

そのあと、ふたりはすっかり闇に暮れた神戸の街へと消えて
父が帰ってくるのは牛乳配達や新聞配達のお兄ちゃんと同じ頃であった。
 
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